「・・・そういやセトさん、帰ってきたのかな」
本多はふと思い出したように呟いた。
安いアパートの小さい自室でくつろいでた本多は、テーブルにあるノートパソコンを開いた。デスクトップにあるショートカットをクリックすると、小さな画面が出てきた。それをみて本多は不安そうに言う。
「支部にすら行ってない、か」目付け役全員に配布される、各々の担当する魔女の行動記録のソフトだ。国のあちこちに設置されているセンサーに魔女が触れることによって、彼女たちのその時居る場所がリアルタイムで目付け役のパソコンに送られてくる。
セトの足跡が残っているのは街の中。一度外に行って戻ってきている辺り、ちゃんと仕事をこなしたのだろう。
「にしても、おせえよ・・・」
そう呟いたとき、本田の耳に携帯の着信音が響いた。
「!」手に取り、携帯を開き耳に当てる。「忠勝」と待っていた声が耳に届いた。
「セ、セトさん!遅かったじゃないですか。仕事のほうは・・・」
「今からすぐに支部に来い。報告に付き合え」セトの声は相変わらず平坦だった。夜遅くなのに疲れを見せていない。
「え・・・。今から、ですか?」本多は時計を見た。日付が変わりかけている。
「そんな、報告なんて一人でも出来る・・・」
「それはそうなんだが、今回のは厄介らしくてな。私はよく分からないんだが・・・」
歯切れの悪いセトの言葉を聞きながら、本多はスーツを着始めた。
「・・・何時までに行けばいいですか」
「さすが話の分かる忠勝だな。主君に忠実。やっぱどの世も忠勝は犬だな」
「誰が主君ですか。いいから時間教えてくださいよ」
「前の奴はこうはいかなかっただろうな」
本多のスーツに通す手が止まる。しばらくの沈黙があった。
「・・・え?」
「1時半に、待合室に来い」
「え、は、はい」
「じゃ、後で」
「ああっとッ。ちょ、ちょっと待ってください!」本多は慌ててセトを呼び止める。どうしても引っ掛かることがあるのだ。
切ろうとしていたセトは呼び止められ機嫌を悪くしたようだ。声が低くなる。
「なんだ」
「・・・あの、俺、目付け役ですよね」
「・・・そうだ。だからどうした。変なことで呼び止めたのなら殺すぞ」セトの苛立ちようが電話越しで分かった。
本多は構わず続ける。
「帰ってきたの一言も、ないんですか?」
「・・・は?」
「俺は目付け役です。貴方の。貴方のことを、ちゃんと把握してないといけないんです。もしすげえ大事なことがあったとしても、何処かに行ってた場合、必ず安否を俺に言って下さい。用件はそれから。いいですか?」
「あ、ああ・・・」
セトの声から力が無くなる。戸惑っているようにも思えた。
「はい、じゃあ」
「・・・?」
「・・・何黙ってるんですか。ただいま、でしょセトさん。さっきの話、聞いてなかったんですか?」
「い、いや。聞いていたが・・・」
「なら」
セトの溜息が電話越しに伝わる。本多は眉間に皺を寄せた。
「な、なんですか」
「とっとと来い」
「ちょ、セトさん?・・・無視ですか?ちょっとそれは」
「ただいま」
柔らかな女性の声に本多は固まった。
誰だ今の声。咄嗟に思う。
「とっととこい馬鹿」考える間もなくセトの声が降りかかった。
「え、あ、はい、はい」
電話がぷつりと切れる。本多はしばらく固まっていたが、スーツに通しかけた手を通し、身支度を整えると携帯を押し込み部屋から飛び出た。
綺麗な声だったな。
走りながら思った。
*
「セ、セトさん」
本多は息を切らせて魔女総合支部にいた今日居た待合室の扉を開けた。
「忠勝」
そこに居たのはセトとニユ。ニユの目付け役の女も顔をあわせていた。女の方は、本多は初めてみる。
「ニユさん・・・に、目付け役の・・・?」
「神城 凛呼(カミシロ リンコ)。よろしく」目付け役の神城が頭を下げる。名前通り、一直線に響く声だった。
「どうも、えと、俺、本多雅文」本多も頭を下げ、確かにニユさんの担当だな、と勝手に納得した。
「・・・それで、こんな真夜中に何を」
「報告だって」
「いやいやそりゃ分かってるんすけど、仕事の報告にこう、大勢で行くモノなのかな、と」
「今回は特別なの。・・・セトさん。ちゃんと説明したんですか?」
神城が本多を指差しながら言う。セトは首をかしげた。
「来いと言った」
「・・・凛呼。言ったでしょう。セトにそういう説明は無駄だって」
ニユがため息をつく。本多は話の糸口を見つけようと必死に頭を動かした。
「え、あの、すんません。特別って。・・・セ、セトさん何かしちゃったんですか?」
「今回私たちの行った仕事の内容は、知ってますよね?」ニユの声は何故か少し弾んでいた。
「は、はあ。・・・非国民の処理、ですよね」
「それ・・・、セトの独断で一次保留にしたんです。・・・あ、でも、私が傍にいたのにも関わらず承諾したので、彼女ばかりの責任ではないですから」
「い、一次保留!?」
ニユがしゅんとなる。今までにない異例の事態に本多は焦った。セトを見る。何かいけないかとでも言いたげな顔だ。ニユの責任を重大に思う気持ちを分けてやりたい。
「必ず何かあると思ったので、目付け役も付いていくことになったのよ」
「で、でも保留って・・・。じゃあ、その、今回の非国民は」
「東海林なら、家で大人しくしてんじゃないか?」
「だ、大丈夫なんですか、それって・・・」
「この状況で、大丈夫だと思う?」
神城に言われ、本多は落胆した。
魔女二人にその両方の目付け役がいっぺんに同じ場所に集まるなんて滅多に無いことだ。大丈夫なはずがない。
「あ、あう、それ、本当にマズいんじゃ・・・」
「とっとと行くぞ。ずっと動いてて眠いんだよこっちは。早く帰って寝たいんだ」
目を擦りながらセトは扉を開けた。
「男らしいね、セトさんって」
神城のそんな言葉が、本多の胸を貫いた。
*
セトを筆頭に4人は魔女支部の一番手前にある部屋の前に立った。扉は鏡で出来ていて、自分が反射して見える。ドアノブらしきものは無く、あけることは出来なさそうだ。
セトは鏡に顔を近づけ、自分を睨みながらべっと舌を出した。鏡の扉が音を立てる。するとしばらくして、鏡の上のほうにあるランプが点滅した。
『14番。セト』
「魔女の認証方法って、舌だったんだ・・・。いつもセトさんカードとか持ってないからどうやって入ってるんだろーなとは思ってはいたが」
本多がカードを取り出しながら呟く。
「あたしらはな、舌に見えない烙印が押されてるんだ。その烙印に、必要な情報は全部入ってる。あとはこうして舌を出して認証させるんだ」
「へえ・・・」
ニユも鏡の前に立ち、舌を出す。『2番。ニユ』「その場で立ち止まる人たち全員が身分を認証させないと開かないんですよ、ここは」と笑いながら言った。
本多と神城はその扉の横にあるリーダーにカードを差し込んだ。機械音が数回響き、『15.5番。本多雅文。2.5番。神城凛呼』と名を発する。
ぷしゅっという音がした。見るとドアノブが現れていた。
セトは躊躇うことも無くドアノブを捻り、扉を開ける。扉の奥は明るかった。全員が入ると扉が自動的に閉まる。
「相変わらず、あたしらの上はおかしな奴だな」セトの言うことに本多は同意せざるを得ない。
部屋の中は沢山の標識で溢れていた。普通に立っている標識もあれば、ひしゃげている奴もある。中にはバス停の時刻表まであった。椅子や机といった家具は一切無く、とにかく部屋全部が全て標識で覆われていた。
ギギ、ギギギという音が響いている。部屋の奥のほうでしているようだが、標識が邪魔して奥が見えない。
「イトノ記録長。報告に上がりました」
ニユが声を張り上げて言うと、音はしばらくして止んだ。「何の件だ?」と、低い男の声がした。
足音が奥からやってくる。標識を避けながら、黒い影がこちらにやってきた。
「ショウ・・・。非国民の件です」
「非国民・・・?待て、ちょっと情報見るから。えーと・・・。非国民の標識はあ」
影は標識の周りをウロついている。「あった。これだ」と標識を一本持ち、こちらに顔を見せた。
「・・・こんな大勢で報告に来たのか」
灰色のスーツを着た男が4人を見て驚いた。垂れ目に無造作に分けてある髪。驚いたといっても、表情はあまりそう見えない。ネクタイは首に掛けてありシャツのボタンは大きく開いている。右手にひん曲がっている標識、左手にある先ほど取った標識は肩に乗せている。
「お久しぶりです。記録長」と神城と本多が深くお辞儀をする。ニユも一礼した。
「久しぶり、ケンタロー」
セトだけは礼もすることもなく、軽い調子で挨拶をした。
「な、セトさん・・・!?」
「あー。セトはいいんだ。昔からの仲だから」
「そう、だったんですか・・・」
本多は一歩退く。そんな彼を見て、男は不思議そうに瞬きをした。
「え、目付け、知らなかったのか?・・・セト、お前。目付け役くらい、教えてやってもいいだろうが」
伊戸乃 賢太郎記録長は持っていた標識でセトの頭を叩いた。
「あんたにだけは言われたくない」
「で、報告のほうを、早速」
伊戸乃は持っていた標識を片手にまとめると一つの標識を手に取り、力任せに曲げ始めた。標識は形を変えられ、椅子のような形になった。伊戸乃はそれに腰を掛け、胸ポケットからマジックペンを取り出す。
彼は先ほど取った標識を横に立たせ、ソレを見つめた。標識に、何やらマジックで何かが書かれている。よくみると、ほとんどの標識にマジックで何か書いてあった。
「はい、えーと・・・。なんて読むんだコレ。とうかいりん・・・」
「ショウジです」
「あ、あー。ショウジね、東海林。えーと・・・?お前らはあれだよな?そいつが非国民になるのかを確認しにいった感じの」
「はい」
伊戸乃はマジックのペンを外すと、時計を一回見て、ひしゃげているまだ何も書いていない標識に日付と東海林という言葉を書き出した。
「えーと、非国民で、魔女二名が確認・・・。で?どうせ確定だろ?」伊戸乃は既に「確定」と書き出している。
「・・・あの」
「保留」ニユが苦し紛れに言いかけたとき、セトが間を置かずに言った。
「それ、早く消せケンタロー。東海林は保留」
伊戸乃の手が今更止まる。セトのほうを見た。「・・・は?保留?」何を言っているんだと言いたげな顔だ。
「そう言ってるだろ。早く消せ」
「・・・お前は昔から話合わないな。・・・ニユ。どっちなんだ?」
伊戸乃はニユのほうを見た。ニユは困ったように笑うだけだ。その表情を見て、伊戸乃は何もかも分かったのか、頭をくしゃくしゃ掻いた。
「・・・あー・・・。だから報告だけなのに目付け役も付いてきた訳か。なるほどなー」
伊田乃は書きかけの標識をガン、と床に向かって突き落とした。鋭い音が部屋中に響いた。「そりゃ無いわ」伊戸乃が呟く。彼の声は穏やかで、ソレが余計恐ろしく感じる。本多は既に冷や汗だ。
「いいか。そりゃ違う。保留なんて、今までにあったか?こんなの報告されちゃ、明日の正義会議で持ちきりだぞ」
「・・・」
「非国民を保留でここに留めているなんて騒がしい奴らが聞いたらどうなると思う?下手したら、お前らを追い詰めに来る」
「・・・なんでだ?」
臆することなくセトが聞いた。伊戸乃は表情を変えずに応えた。
「なんでってお前、あいつ等はな、この国のイメージをなるべくよくしたいんだ。そんな奴らが抱えている魔女が非国民と称される奴を助けているなんて思われちゃイメージがた落ちだろうが。それにお前だけならまだしも、”いいイメージの象徴”でもあるニユまで関わってちゃ、黙っちゃいねえって」
「だから、なんでだ」
「・・・あ?」
「セ、セトさんっ。それはちょっと・・・!」
伊戸乃の機嫌が悪くなっていっているのに感づき、本多は必死にセトを止めようとする。
「なんで勝手に決め付けるんだ」
そんな本多の声も、セトには聞こえていなかった。
「あいつはまだ確定じゃない。そう判断して保留にした。あいつに時間をあげた。あたしら魔女の存在と、全てを見つめなおして、納得してから、また行く」
「・・・は?何言ってんのお前」
「何も知らないやつのことを勝手に決め付けるなっていってるんだ。私らが勝手に決め付けたんだ、あいつのことを非国民だって。そんなんで納得できるわけないだろ。あっさり自分が非国民だと認めてさっさと国出て行く奴なんて一人も居ない。だから私たちの存在を認めるかどうかを考える時間をやった。私の独断だ。責任は全部私がとる」
「・・・お前」
伊戸乃は頭を乱暴に掻いた。呆れたようにため息をつく。
「・・・それさ、例えおれで通ったとしてもその先が見えねえって。確かにお前の言うとおり、おれたちは勝手に決め付けてる。おれだって反吐が出た。けどな、それがここなんだ。嘘で塗り固められた世界。・・・そんなんに、通用すると思うのか」
「思うのかって。知るわけないだろう」
セトは伊戸乃を見据えた。腹の底から声を出した。
「そんなの、あたしらだって初めから知っている。・・・だからなんだ。嘘で塗り固められた世界とか、そんなんどうでもいい。逆に、正義会議に持っていけ。真っ向から勝負してやる、嘘つきたちに」
「・・・セトさん?」
本多はセトがいつもと違うことに気づいた。
いつになく、彼女は真剣だった。「正義会議なんてただの悪口の言い合いだろ」なんて前まで言っていたのに。
「・・・非国民制ってもの自体のが前々から気に食わなかったんだけど、今日東海林と会って分かった。・・・あんなの、あっちゃいけない。間違ってる。・・・何か、違う気がするんだ」
「そりゃあ、アレか。今度の正義会議で非国民制の廃止を進言するのか」
「悪いか?あたしは最高峰の魔女だろ?そのくらい言ってもいいはずだ」
「こんなときだけ権力をチラつかせるな馬鹿者」
伊戸乃は呆れたように言うとセトの頭を標識で叩いた。
「なにするんだ」と、標識を手でどけながらセトが言う。
「・・・ふん、馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけどそこまで馬鹿だったとは思わなかったぜ」
「あんたに言われたくない。アホみたいに胸毛曝してさ」
「ワイルドだろおい。・・・言っとくけどな。おれはまだ反対だからな。んなもんでオッケー出せるわけねえだろ」
セトが諦めたように顔を曇らせた。
「・・・だが、議員の顔を潰すのなら話は別だ」
ニヤリ、と伊戸乃葉笑ってみせた。セトが顔を上げ、本多は目を白黒させる。
「え?」
「・・・本当か?」
「おれもあいつらは気にくわねえんだ。一杯食らわせるなら喜んで保留の文字を書くぜ、おれは」
「・・・私情で記録をするのは如何かと思いますが」
神城が平然と呟き、セトはそんな彼女を睨みつけた。ニユは神城の隣りで眉を下げた。
「お前空気読め」
「すいません」
「私情なんて挟んでないぜ目付け。おれはお前たちの言ったことを肯定して記録するだけだからな。私情も何も無い」
「ならいいです」即答する神城。もしかしたら、目付け役としてただ”言ってみた”だけなのかもしれない、と本多は思った。本多自身も、神城が指摘しなかったら自分が言っていたはずだ。
「しっかりしてるなあ」
「なんだ」
「ああ、いや。こっちのこと」
伊戸乃はマジックで確定の二文字に二重線を引いた。そして、嫌味ったらしくでかでかと保留と書く。
「・・・それはいささか大きすぎるのでは」流石に違和感を感じたのかニユが呟く。
「でかいほうがインパクトあるだろ。あいつらの目ん玉飛び出す顔が見たくて仕方ねえんだ」伊戸乃は口笛を吹きながらさらりと返した。
「よし、報告終了だ。今度の正義会議が楽しみで仕方ねえぜ」
「楽しみにしてろ。思いッ切り叩き潰して捻ってゴミ箱に捨ててやるから」
伊戸乃とセトは互いに目を合わせ、笑った。
本多はソレを見て、似てるとしか思いようが無かった。同郷であると言われなくても、前までは一緒に居たのではないかと疑わせるだろう。
「そっくり」
神城もそう思ったのかふと呟いた。
「あ、やっぱそう思う?」
「・・・ええ。まあ」
そっけなく返されて本多は気を落とした。無愛想なだけなのかもしれないが、やはりこう何度も冷たく返されては悲しくなる。相手がいつもセトだから、この反応が新鮮なだけなのかもしれない。
「・・・」
「何してるの忠勝。・・・用は済んだし、帰って良いぞ」
「あ、ああ。はい。お疲れ様です」
終わりだと思った瞬間どっと眠気が襲ってきた。クラと体が傾くのを感じ、本多は足に力を入れる。
「・・・本多さん?どうかしましたか?」ニユが不安そうに聞いてくる。
「いえ。少し眠いだけです。気遣い有り難うございます」
本多が笑うと、ニユも笑い返した。
本多たちは伊戸乃の方を向き礼をすると、部屋から出て行った。
セトだけが部屋に残り、伊戸乃を見つめている。
「・・・ん?どうしたセト。とっととお前も行けよ。一日ぶっ通しだろ?はやく帰って寝ろ」
「・・・ケンタロー」
「なんだ?」
セトはしばらく俯いていたが、顔を上げた。「・・・いや。いい」
「は?」
「また今度にする」
「遠慮すんなって。昔の好だろう」
「いや。・・・今は違う気がして」
セトは再び顔を伏せた。伊戸乃はふうんと呟き、大きく欠伸をした。
「いいならとっとと帰れ。おれこれからこの事報告すんだから。したらきっと明日は臨時正義会議だ。いつもみてえに眠りこけてらんねえぜ?今のうち寝とけ」
「・・・ああ。そうする」
セトは頷くと踵を返した。
伊戸乃は最後に見た彼女の表情が曇っていることを知りながらも、それを彼女に言わない。
<