今回は自ら進んで正義会議に出席したセトだけども、本当に出ただけだった。
会議が始まるや否やすぐに机に突っ伏す始末。本多が必死に彼女を起こそうとするが、彼女の鉄拳の前にしばらく沈んでいた。そのまま会議は彼女の話に移り、議員の言うことは彼女の文句ばかり。冷たい目を向けてくる者も居た。
会議というより、悪口大会だ。
意識を取り戻した本多はただひたすらバツの悪そうな顔をしていた。こういうときだけはセトが寝ていて良かったと思う。彼女の耳に悪口が聞こえれば再び新聞のトップを飾っていただろう。
「はー・・・。もう、嫌だわ」
会議が終わり、本多は11番リタの目付け役である春原 緒都(スノハラ オト)と共に休憩室にいた。本多はコーヒーを片手に椅子に座り、力なく肩を落としている。春原はいつものことだと思いながら缶コーヒーをすすった。
「セトさんか?」
「今日もクレームの嵐。当の本人は他人事のように眠りこけてやがる。それが結局俺の方に流れてきて最終的にヘコヘコすんのは俺なんだよなあ・・・。皆して自覚無いのかだとかしっかりしてくれなければ困るだとかさ」
「お前その顔さ、さっき報道されてたニュースにあった騒動に巻き込まれたんだろ。まった痛々しい」
本多の傷だらけの顔を見て、春原がカッカと笑う。
「セトさんの目付けになってからだよ、こんなに傷が出来るようになったのは。・・・哀れむなら交代してくれ。リタさんの担当にさせてくれ。きっとそっちのが傷少ない」
「駄ー目。なんで自ら地獄に飛び込まなきゃいけないんだよ。リタさん俺のこと気に入ってるみたいだし。諦めろ本多」
本多は「最悪」と言うとコーヒーを飲む。手元にある資料を持ち、目を滑らせた。
「それ、俺らにも配られた奴?」
「ああ。セトさんに殴られて気を失ってる間にこの話終わってたからな。どんなもんだったか教えてくれ」
春原は頷くと自分も持つ紙を取った。
「まあ、知っての通り隣国はいますげえピリピリしてる。持っちゃいけねえモンを持って、うちらを挑発してるそうだ。真意はよく分からないが、恐らくは魔女の奪取。あいつらの兵器と魔女さんが合わされば向かう所敵なしってことらしい。そんなだから、あの国は魔女たちにも嫌われて、魔女がいない。その分を兵器で補おうって思ったんだろう。俺らの国は兵器は持たないから、向こうにとっちゃ格好の餌だろうな」
「・・・んで?」
「もし奴らが攻撃を仕掛けたなら。・・・俺らは対抗する術をほとんど持っていない。他の人は未だ分からないが、セトさんは必ず迎撃のために出撃するそうだ。戦争勃発。ヤだね、そうゆう好戦的な奴がお隣って」
隣の国は気性の荒い国であり、他の国と幾度となく戦争を繰り返してきた。
彼の国の宣戦布告を受ける国もあれば、冷静に判断し、争いを避ける国もある。しかし隣国であるのと魔女の大量所持が災いしたのか、今回の矛先はこちらに向けられる様子だった。
「・・・セトさんに決定権は?」
「一応あるらしいが通用はしないだろうな。これを機にセトさんに見事に散って欲しいっていう魂胆丸見え。”あんなに悪かった魔女だったけど、私たちの国のために戦い散ってくれた、万歳!”っていうのをはっつければこちら側も都合が良くなるとでも考えてるんだろ。噂じゃそういうことになった場合の本多の転移先も考えてるってさ。凄いぞ、エバさんの担当になるって話まで出てる」
「その時の場合の俺の処置すら考えているのか。まるでソレが必ず起こるっていってるようなことしやがって。・・・そんだけ邪魔だってのか、セトさんが」
本多は唸りながらコーヒーが入っていた紙コップを噛んだ。周りではセトは悪い印象を受けるが、本多はそうは思わない。セトのもとについて4週間。そろそろ、彼女の内面も見えてきた。
「・・・あの人はただ、正直すぎるだけなんだ。嘘も何も言わない、他の人が思ってるほど悪い人なんかじゃない。・・・少し根が真面目すぎて、嘘がつけないんだ」
「あぁ、知ってる。・・・お前と肌が合うってのも、知ってる。だからセトさんとの衝突もない。そうだろ?今まで目付きになった奴はマジ喧嘩をしたりしたけど、お前はないだろ?いや、あるかもしんないけど、微笑んで見れるような喧嘩だけ」
「巻き込まれる喧嘩はそんなんじゃ収まらないけどな」
本多は飲み終えたコーヒーのカップをゴミ箱に放り投げ、隣に置いておいた背広を手にした。ソレを見てふと、春原が呟く。
「そういえば本多、お前その背広何着目だ?」
「自慢じゃないが10着は駄目にしている。もうここ会社っつうわけじゃないんだからTシャツでいいんじゃないと最近本気で思っているんだがどうだ」
「どうもしねえよ。そんなこと自慢しちゃいけないし。・・・セトさんの目付け役だった人は皆口を揃えて言っていたぞ、”セトさんと関わりを持つとすぐに財布から札がなくなる”ってな」
「ああ。それは・・・同意せざるを得ない」
古びた銭湯の上に伸びる、コンクリートの煙突。もう使われていないのか、てっぺんから煙は出ていない。
そんな煙突のてっぺんに、セトの姿があった。煙突にあぐらをかいて座り、ぼう、と街の景色を眺めていた。
『・・・アンタ、なんてこと言うんだ。』
先ほどの、本多とのやりとりが思い起こされる。『アンタは、リギさんの、親友だろッ?どうしてそう言えるんだ。』
「はっ」
セトは小さく笑った。口元を歪め、肩を揺する。
「つまんないことで怒りやがって。なにがアンタはリギさんの親友だろ?だ。・・・笑えるよ、そう思わないか?」
セトの言葉は、背後にある気配に向かって問いかけていた。いつのまにか彼女の背後には、ほうきに跨った魔女が居る。整った顔立ちに、薄い赤髪が風になびいており、毛先にいくにつれて赤黒くなっていた。服はクリーム色のスカートに、薄いガーディアンを羽織っている。見ているほうが寒くなりそうだ。
そんなニユはセトを睨み、眉間に皺を寄せていた。
「ニユ」
「セト。ここにいたんですか。本多さんから言われなかったんですか?正義会議の後は、わたしと仕事をすると」
「ああ。そんな話もあったかな」
セトはニユのほうを見向きもしない。ニユはくるりとセトの前までやってきた。
「これから、その現場まで向かいます。セトさんにはしっかりしてもらいたいですから、本多さんの代わりにしっかりと目付きさせていただきますから」
「分かってるよ」
セトはゆっくりと立ち上がると足元に置いてあったほうきを手に取る。バランスを取りほうきの上に立つと、そのまま前へと進みだした。
「あ、ちょっと!」
ニユが慌てて追いかける。「今回の仕事の指揮は私です。何も知らないくせに、勝手な行動は控えていただきたい」
「・・・思ったんだが」
急にセトが止まり、くるりとニユのほうを向いた。初めて目が合う。自分の言うことに何も反応を返さないことに怒りを感じながらも、ニユは「なんですか」と返した。
「何でお前、敬語なんだ?急にそんなかしこまって。昔はそんなんじゃなかっただろ?気味が悪いから元に戻してくれ」
「・・・何を言い出すかと思えば」
ニユはため息をつき、セトを見据えた。
「それは貴方がわたしたちの頂点に立つ魔女だからでしょう。わたしは上下関係をきちっとしたいのです。だから敬語で対応する。貴方個人の気持ちで静止するのはやめてください。これがわたしなのですから。それに・・・リギさんも、そうでしたから」
リギという言葉を聞き、セトは僅かに表情を変えた。
「お前も”リギ”か。笑えないな。・・・けど、そう言ってるワリに、忠勝は”さん”付けだな。なんでだ?忠勝はお前より地位低いはずだ。さん付けする理由は無いはずだぞ?」
「忠か・・・、本多さん、ですか。・・・わ、わたしは、彼を、ただ・・・。尊敬、しているだけですから。ええ、貴方を世話するなんて並みの人間には出来ませんから」
急に静かになるニユ。セトはあの傷だらけで自分を叱る顔を思い浮かべ、「あたしはそうは思わないけどな」と返した。
「か、考えが食い違うのは当然ですよっ!」
ニユは急に大声で言い、セトの前までくると目的地へ向かってほうきを走らせた。急に大人しくなったり怒鳴ったり相変わらず五月蠅い奴だ、と心中で呟くと、セトはニユの跡を追った。
「で、今回はなにすんだ?喧嘩?」
「そんなわけないでしょう、なんて野蛮な。・・・今回は、わたしたちに不満がある”非国民”のところへ行き、わたしたちを納得させます」
「非国民って、魔女嫌いなやつらのことか。そんな奴らのところにあたしらが行っていいのか?火に油を注ぐようなものだろう」
「いえ。そのために、貴方をつれてきたんですよ、セト。貴方が何か一言言えば、あちらも嫌でも頷くでしょう」
「頷くったって・・・。あたしなんかが言って、どうにかなるのか」
「それだけ、貴方の地位は高いのです」
ニユが鋭く言い放った。それは、未だ自覚のないセトにソレを気づかせようとしている風にも見えた。
「・・・ふうん」
尤も、それも本人が理解しなければ意味はないのだが。
いつの間にか2人は街の端までやって来ていた。華やかな街の中央部とは違って、ここは日陰であるかのようにひっそりとしている。この状況を見て、とても同じ街だとは思えない。
「ほら、あそこです」
ニユが指差したのは、ある一軒家。「あそこが、非国民の住む家です」
「結構な大きさだな。・・・親子なのか?」
「前までは、長男長女を含む4人家族だったそうです。けど、不慮の事故に遭ってしまい、娘さんたちと奥さんはお亡くなりになりました。・・・セトは、4年前に殺された魔女を、覚えていますか?」
ニユの言葉に、セトの表情が険しくなる。押し殺したような声で応えた。
「忘れるわけがない。忘れるものか。・・・メムだろ」
「えぇ。生き残った旦那さんの話によると、その事故はメムによって引き起こされたらしいんです。それ以来、魔女が嫌いになったとか」
「・・・それは、その夫さんの話が正しいんじゃないのか?あのメムならやりかねない。・・・しかし、それであたしらを恨むというのは何か違う気がするが」
「そんな人たちにとって、いい魔女も悪い魔女も関係ないでしょう?”自分の家族を殺したのは魔女だ。だから魔女が悪い。”そんな感じで一括りにされてるんでしょう」
その問題の家の前に降り立つ。辺りは薄暗く、星も見え始めていた。玄関に立つ前に、セトがふと呟いた。
「魔女って一括りにされてては、魔女のてっぺんが来ても意味ないだろ」
「そしたら、隣の国にでも行ってもらいます。”非国民”なのですから。・・・まずは家に入ることが先決です。わたしの言うことを聞かなかった場合、セトさん、何でもいいので彼に声をかけてください。家に入れればこちらの手に落ちたようなものなので、後はわたしにお任せを」
「・・・ふーん」
ニユはインターホンを押す。しばらくして、扉が開いた。
「はい」
出てきたのは、眼鏡をかけた、知的な男性。黒髪の中に白髪が目立った、40代後半のような印象を受ける。
男は、ニユたちの姿を見ると一瞬だけ目を点にさせて、その後すぐに顔をしかめた。
「・・・」
「東海林(ショウジ)さんですか?・・・わたしたち」
「帰ってくれ」
ニユの言葉を遮り、東海林と呼ばれた男は顔を俯かせた。「頼む。・・・帰ってくれ」
「帰れと言われましても。わたしたちはここでしなければならないことが」
「魔女の顔なんてもう見たくないんだよ!頼むからもう、顔を見せないでくれ!帰ってくれ!」
「お前」
セトが初めて口を開く。東海林はその声を聞くと、ゆっくりと顔を上げた。
「・・・あんた、まさか」
「話くらい聞けよ。あたしらだって暇じゃないんだ、お前の我が侭ばかりに付き合ってられない」
「14番の、セトッ?な、なんであんたがっ」
「この人が居ないと、きっと話を聞かないと思ったので」
ニユがにこやかに言う。もう、東海林に決定権はないだろう。
「お話くらい、聞いていただけますか?」
*
家に通された2人は、広いリビングに通された。リビングは、テレビが点いているにもかかわらず何か寂しさが表れていた。やはり、1人だけで住むには、ここは広すぎるのだろう。棚の上には写真立てが沢山あって、4人で写っていたり息子たちの姿が写っていたりと、どれほど溺愛していたのかが伺えた。
この様子じゃ、息子さんたちの部屋もそのままでしょうね。ニユは言葉に出さずに思う。
東海林はテレビの電源を消すと、テーブルを挟んでセトたちと向かい合った。顔が強ばっている。
「・・・それで、話とは」
「貴方は、考えを変えないんですか?このままだと、貴方は”非国民”として正式に登録され、国を追い出されますよ?」
いきなりニユがはっきりと言った。東海林は気圧されたような表情を見せたが、膝の上に置いた拳を握り、声を出した。
「・・・ッどうして魔女が嫌いなだけで、故郷から追い出されないといけないんだ・・・!」
「そういう決まりですから」
淡々と応えるニユ。セトは黙ったまま、東海林を見つめていた。
「貴方がわたしたちの存在を肯定してくれれば済む話なのですから。もう、”非国民”といわれなくなります」
「じょ、冗談じゃない!なんでだ、俺はあんたらの仲間に家族を殺されたんだぞ!?そんな殺人者を認めるなんて、俺には出来ない!」
「・・・東海林さん、確かに私たちの同志は、人殺しを行ったりしていました。しかし、そんなのとわたしたちを同じにされては困ります。わたしたちは、」
「黙ってくれ!魔女は魔女だ、俺の家族を殺したことに変わりはないんだ!」
ニユの言うとおりだ、とセトは思った。自分たちを”魔女”と一括りにしかみていない。仲間だから、一緒だから。それだけで。
そんなだったら、あたしらもあんたらを”人間”と一括りに見ているようなもんじゃないか。
断固として首を縦に振らない東海林を目の前に、ニユはため息をすると、哀れむような目で東海林を見ながら立ち上がった。懐を探る。とりだしたのは、携帯電話だった。
「・・・なに、を」
「貴方を正式に非国民とするんですよ、東海林さん。そこまで言うなら、考えを無理に曲げなくていいです。向こうに連絡して、早々にここから出て行ってもらいます」
「や、やめてくれっ!ここから、家族の思い出が詰まった場所から出たくない!」
「なら・・・どうして、そうも頑なにわたしたちを拒むのです。わたしたちから、その魔女の・・・、メムのような臭いはするんですか?」
「・・・違うんだ」
東海林は震える声で言葉を紡ぎだした。これまで、セトは微動だにしていない。何かを見極めるように、東海林を見つめていた。
「・・・あんたらを認めたら、全てを受け入れないといけない。あんたらを受け入れることによって・・・、娘たちや妻の存在が、否定されるようで」
「否定って。だって、他の家族はみんな死んでしまったんでしょう?死人を否定するとは、どういうことなんですか?」
いい加減嫌になってきたのか、ニユの口調が強くなってきた。東海林が顔を上げる。彼女のきつい視線に対抗するかのように、睨みつけた。
「俺にとっちゃ、まだ妻たちは生きているんだ!魔女を認めない、そうすれば事故は起きていない、あれからもずっと4人で幸せな日々を送っている。・・・そう、思いたいんだ。心の中だけでもいいから、妻たちが居て欲しいんだ」
なんとも、幼稚な考えだった。耐え切れなかったのか、ニユは思わず「はっ」と笑った。
「・・・それは、貴方の勝手です。目の前の現実を全て受け入れていない、我が侭なだけです。そんだけの理由で、わたしたちに迷惑をかけるつもりなんですか?」
「お前ッ」
東海林が立ち上がる。ニユは見下ろしてくる東海林を睨み返した。もう、お話の欠片もない。
「やっぱりお前らは同じだ、同じ魔女だ!ふざけるのも大概にしろ!」
「ふざけてる?ソレは貴方でしょう!貴方こそそんな夢にしがみついてないで現実と向き合ったらどうなんです?人はいずれ死ぬものなんですよ?特別でない限り生まれるものは皆死ぬ。例外はない」
セトの方眉が動いた。
「大事な者を失った者はみな同じ気持ちを味わってる。それだけです。それを乗り越えていってるんです。・・・あなたとは違って。過去にすがらず、新しい道を見出して進んでいる。それなのに、貴方は・・・」
ニユは立ち上がった。東海林は身構えたが、ニユはソレを見ずに帰り支度を始める。「セト。帰りましょう」とセトに言う。
東海林は慌てた。
「か、帰るって・・・」
「貴方も早く準備したほうがいいですよ、東海林さん。・・・隣国に行く準備を」
「なっ・・・」
「先ほどから言っていたはずです。呑み込めないのなら早々にこの国から消えていただきます」
「まっ、待て!おい」
今更慌てられても、とニユは目で訴えた。東海林がたじろぐ。
冷ややかな視線に凍りついた。
セトも立ち上がり、ニユの跡をゆっくりと追った。東海林の方を見向きもしなかった。
「ふざけるな」
声が震えていた。
「お前らの勝手で、俺の人生を目茶苦茶にして、お前らの勝手で、俺の住む場所を無くして」
手が虚空を掴み、その内棚の上に置いてあった果物ナイフに手が伸びた。東海林の声は聞こえていない。彼の目は、一人の魔女を確実に捉えていた。
「何様だよ、お前らは・・・。お前ら魔女は、ずかずかと人間の中に入ってきていいのかよ!?」
東海林は果物ナイフを大きく振りかぶった。そこでニユが、初めて東海林の行動に気づいた。
「え?」
何が起こったのか、今のニユには全く理解できていなかった。
自分が、刺されるということも、また。
鈍い感触が東海林の手に伝わってくる。息が荒い。血が滴るのを見たと同時に顔を上げる。
手が、伸びていた。
ニユの背に刺さるはずだった果物ナイフは、14番目の魔女の手に憚られ当たっていなかった。ニユの背ではなく、セトの右手に果物ナイフは深く刺さっている。
「おい、おっさん」自分の手が刺されているのに、セトの声は冷静だった。
「セ、セト・・・!?」
ニユが振り返り叫ぶ。東海林は手を刺したまま微動だにしなかった。
「いいのか、大事な”カゾク”との思い出の家だろう?血で汚して」
「な、お、お前っ・・・!」
「セト・・・?一体、何がッ・・・!?」
「こいつがおまえを刺そうとしてたんだ、このナイフで」
セトはそう言いながら自分の手に刺さっている果物ナイフに手を掴み、強引に引き抜いた。少し顔が強ばるものの、痛がる素振りは見せない。
セトの手が引き抜かれると、東海林はどっと後ろに倒れた。果物ナイフを握ったままだ。
ニユは東海林を見下ろし、ため息をついた。「こんなものに気づかないなんて・・・。すいません、セト。わたしの不注意で・・・。今すぐ手当てを」
「いい。放っとけば治る」
「・・・そんなレベルの傷じゃないでしょ!わたしの不注意で起こったんだから、それはわたしの責任でもあるのっ。手を貸して、ほら!」
ニユは強引にセトの右手を握り、懐からタオルを取り出すと丁寧に巻いた。
「あ、ああ・・・」東海林の情けない声にセトが反応し、彼を見る。
「お前の気持ちも、分からなくは無い。でも、殺生は駄目だ。何があろうとも、人を殺しちゃ駄目だ」
「・・・すいません、セト。わたし・・・、感情に流されて・・・」
「いいだろ、そんなの。だってニユも人間じゃないか」
ニユの表情が強ばる。セトは右手を離し、軽く礼を言った。
そして、双方を見ると呟いた。
「両方に、言いたいことたくさんある」
一泊置いて。「まず」
「お前は、悪くない。”非国民”じゃない」
指差す先に居たのは、恐怖を顕わにしている東海林だった。「・・・セト?」と不満の声を出したのはニユだった。
「何を、言っているんですか?いくらわたしを助けてくれたとしても、そんなことを通すわけには・・・」
「ニユ、ちょっと黙ってろ」
セトはニユにそう促す。ニユは顔をゆがめたが、しばらくして肯定したかのように俯いた。
「そもそも、あたしらの存在を皆に認めさせなくてもいいんじゃないのか?必要なときにだけ思い出してくれさえすればそれでいいと思うんだが」
それに、とセトはニユを見つめた。「無理矢理こういうのをされるほうの身にもなれ。お前がこんなことされたら嫌だろ?」
「・・・仕事に私情を挟んでいられますか。そんなこと・・・、できるわけが、ないでしょう・・・!自分が嫌だからこの人にそんなことさせない。そんな決断だけでみなを離して、そいつがまた犯罪に手を染めたりしても、嫌がることはしない。また離す。そしてまた犯罪を行う。それを繰り返すと言うのですか!?」
「そうじゃない。ただ、それを視野に含めて話せないのかって言っている」
ニユが押し黙る。いままでの自分の行動を振り返っているかのようにも見えた。
またわたしは、感情に任せて話してしまった。自分の言動を恥じているようでもあった。
「でも、ニユばっかじゃない、悪いのは」
今度は東海林のほうを向いた。何をしていたのか、顔を伏せていた東海林は声をかけられてビクッと肩を震わせる。果物ナイフは、いつの間にか床に転がっていた。
「は、は・・・?」
「お前もお前だ。そんなに現実から離れようとしてて、それでいいのか?なんで全てから目を背けようとする?」
東海林は一瞬戸惑ったようだったが、溜息混じりに呟いた。「・・・だから、そうしなければ私の家族は死んだまま。認めさえしなければ」
「そこ」
セトは東海林を指差した。「そこだ、間違ってるのは」
「なんでお前は何も背負おうとしない?全部他人に押し付けて、安全な場所で文句ばっか言って。ピーピー阿呆なこといってないで魔女も家族の死も全部ひっくるめて背負えばいいだろ。そんでまた新しい一歩を踏み出す。普通は、そうだ。でも、お前はそんなことしない。家族の死を受け入れないで、自分の勝手で何も変えないで。・・・自分勝手だ、それは。親の言うことを聞かないくせに、自分でおしめも変えられない赤ん坊と同じだ、お前は」
「なっ・・・、何、を・・・!?」
「弾も何も被弾しない安心できる場所を見つけて、そこに居るのが慣れて、我が侭になったんだな。お前は」
東海林の表情が変わる。怒りを顕わにした形相で、セトを睨みつけた。
「何かあるのか?」
「おっ、おまえはっ・・・!俺の家族に、なんてこと」
「後。・・・やめろ、”家族”を盾に身を守ろうとするなんて」
東海林の息が詰まった。ニユの表情も変わる。
「さっきから家族家族言ってるが」セトの口はなお動く。
「それも防衛線として張ってるんだろ?さっきから家族家族って。・・・お前、こういう事態が起こることはもう、分かってたんだろ?それの言い訳として全部そのまんまにしてる。・・・今のお前からは、もうそうとしか感じられなくなった」
セトは眉を下げる。怒っている半分、同情しているようにも見えた。
「死んだ奴を盾にするって、最悪だって思わないのか?」
東海林の顔が赤くなる。セトは東海林をずっと見つめていた。色んな感情が混じって、何を考えているか分からなかった。
「・・・お、おい」
「ニユ。帰るぞ」
セトは東海林の言葉を無視してニユに呼びかけた。
「セト・・・?帰るって・・・。この男は、どうするんですか?」
「保留だ。また改めて尋ねる」
「ほ、保留?・・・それはいけません。非国民を認めないだけならまだしも、貴方を、わたしたちのトップを刺したんですよ・・・!?彼は逃げます、間違いなく。大罪を犯したのですから、どの道国を追われます」
「な、なんだと・・・!?」
東海林の驚きの声に、落ち着きを取り戻したニユが冷ややかに言う。
「何を言っているんですか。ただの一国民と国一番の魔女、天秤にかけたら傾くのはどちらだと思います?・・・貴方は魔女を否定した、魔女を刺した。追われるのに十分すぎる素材が揃っています」
「そ、んな・・・」
「待てニユ。今の指揮はあんたでも権力はあたしの方が上だ。あたしが決める」
セトが制した。ニユは眉をひそめた。
「貴方、何を今更・・・」
「責任は全部あたしが持つ。もし何かあっても、あたしがアンタの意見に背いたって、ありのままを言えばいい」
「・・・何故、そこまでこの男の肩を持つのです?あそこまで彼の思惑がわかってて、何故」
「だからだ」ニユの言葉を遮った。
セトは玄関に立って言った。
「時間をやるんだ。今までの自分全てを見つめる為の時間がな。整理つかないままだったらいつまた繰り返すか分からねえ。全てを見つめなおさないと・・・、人は、どうせ変われない」
「・・・変わらなかったら」
「あいつは、それまでの人間だった。追放でもなんでもすればいい」
セトは東海林を振り返った。
「どちらにしろ、アンタは・・・。ここから出る必要がある」
東海林が口を開きかけたが、セトはすぐに踵を返し、血の臭いが漂う家を後にした。
*
「・・・なんかすごい疲れた。頭、くらくらする」
「さっきの出血で貧血になってるんですよ」
「・・・意外に痛かった」
セトは他人事のように呟くと、ニユに巻いてもらった右手を見つめた。少し動かすだけで痛みが走る。
「・・・そういえば覚えてる?」
「何を、ですか?」
「お前があたしに敬語使わなかったこと」
「え?・・・嘘、冗談でしょう?」と口をひくつかせるニユ。記憶には無いようだ。
「昔思い出したよ。そんな傷のレベルじゃないでしょー!手を貸して、ほらー!。必死だったから素が出たのか?」セトが笑みをたたえながら言う。
「・・・!あ、あの時はっ!だっ・・・て!」
思い出したのか、ニユは自分の言動を思い出した。何故か頬を赤くする。
「これからもそれでいけよ。あたしもそっちのが良いし。普通の方が、あたしは好きだな」
「でっ・・・でも!私には私のルールがあって、ソレを破るなんて私が許してももう一人の私が許しません!貴方が好きでも、私は!」
「そうムキになるな。その方が本多も喜ぶんじゃないか?」
セトはからかうように言った。ニユの顔が更に硬直する。こいつはプライベートな隠し事とか出来ないだろうなとか勝手に考えた。
ニユは口を動かし何かを言おうとしているが、言葉が決まらないのかおどおどしている。セトはそんな彼女を見て更に笑った。
「セ、セトはなんか・・・、変わり、ましたね」落ち着きを取り戻したニユがそういった。
「ん?」
「昔と比べて・・・、随分笑うようになりました」
応えるまで、少しばかり間があった。
「・・・そうか?いつもこんか感じだろ」
「あのときの貴方の笑みには・・・、無理があったと思います。どうも、ぎこちなかった。・・・今みたいに自然に笑っているところを、私は見たことが無かったんで、ふと」
「・・・」
セトはすぐに応えようとしなかった。ニユはまずかったかと自分の発言を恥じた。
「・・・そうだな」そんな考えも、セトの呟きで消える。「そうかも・・・しれない」
「変だよな。リギの隣に居ることがあたしにとって嬉しいことだと思ってた。なのに・・・
笑えないんだ。・・・そうか、お前にも分かってたか。わかる・・・もんなんだな」
「・・・」
「嫌いじゃ無かったよ。だから一緒に居たんだ。・・・そうだろ?」
最後の言葉は、ニユに向けられていたものではなかった。セトは空を見上げる。
「・・・お前、ロキのこと、覚えてるか?」
「ロキ」言ってニユは、一年ほど前に事故に巻き込まれて死んだ魔女のことを思い出す。
「覚えてますよ。・・・彼女が、どうかしましたか?」
「あいつがさ、生きてる時に言ってたんだ」
セトは口を半開きにさせたまま続けた。「魔女は、涙を流せない」
「魔女は・・・」
「魔女は涙を流せない」セトは繰り返す。ニユはその言葉を噛み締め、過去と照らし合わせてみた。
ああ、なるほど。
「・・・ロキらしいですね。確かに、その通り」
「あんなにリギを慕ってた魔女ラーだって、リギの死を聞かされたとき、リギの埋葬のとき、涙を見せなかった。ただ顔をしかめるだけで、それだけだ」
「魔女は涙を、流せないですか・・・」
ニユはロキの顔を空に浮かべ、苦笑した。「・・・ロキは確か、幼少期の事故で顔面を負傷し表情が変えられませんでしたよね。だから、何を考えているのか分からなかった。言葉を上手く使ってしか、自分の気持ちを伝えられませんでしたね、彼女」
「あぁ。懐かしいな。最初の頃は苦労した。何考えてるか分からなくて」
「セト。ロキはどんなときにその言葉を言ってました?」
セトは首をひねった。「・・・確か、リギの埋葬のときだ」
「気づいて、あげましたか?」
ニユが微笑む。セトはニユの顔を見ながら頭をかいた。
「ん、んー・・・。よく、分からなかった。フーン、てだけで」
「彼女は、あの時、きっと泣きたかったのでしょう。・・・大きな声で、先に逝ってしまったリギに向かって。
魔女は涙を流せない。それはつまり、泣きたいときもあるということ。泣きたいけど、泣けない。・・・ロキは、きっとそれを表現したかったんでしょうね」
「あいつ、魔女じゃなかったら小説とか書いてたんだろうな」セトがおかしそうに笑った。
「そうかもしれないですね」
「ああ、そうだ。リギの奴の話だったっけ。・・・それであたし、リギが死んだとき、リギの死体があるまんまの部屋に入ったんだ」
「現場って・・・。き、許可とかは?」
「そんなもの、とる必要あるのか」
ニユは手で目を覆う。この魔女には本当に常識の欠片もないらしい。警察にはとめられなかったのだろうか。
「死んだばっかのリギを見てさ。・・・何も思わなかった。お前はどう思うかわからないが、”お前、死んだんだ”ってさ。涙が流せないとかいう以前に、”涙を流す”という感情に迫られることが無かった。・・・だからさ、あたし、ロキの言ってることがまだ、分からないんだ」
華やかな色に彩られた街が見えてきた。魔女総合支部もライトアップされている。街灯の光に包まれた街は、何か違った明るさを帯びて、セトとニユを照らす。
「なあ、ニユ」
「はい」
「・・・あたしにも、ロキの気持ちが分かるときが来ると思うか?こんな、あたしでも」
「きますよ」ニユは微笑んだ。「・・・魔女でも人間でも、同じことです。例え魔女と人間と隔てられても中にあるモノは変わらないんですから」
「ははっ。臭いな、ニユ」
「ちゃ、茶化さないで下さい」
「・・・これでもかってくらい泣いてみたらさ、どんな気分なんだろうな」
それほど興味無さそうに、セとはふと呟いた。